それぞれの馳せ場へ

 異邦人伝道に関する問題が解決して、ホッとしたのも束の間、新たな問題が発生しました。まずパウロがバルナバに、彼らが以前伝道した場所を再訪することを提案したのです。しかしその時、バルナバは自分の親戚のマルコを連れていきたいと主張し、それにパウロは反対したのでした。前回の伝道旅行の際、二人から脱落したというのがパウロの反対した理由でした。この問題を巡る詳細は今となっては分かりません。私たちはつい、自分たちの置かれたそれぞれの状況を勝手に投影して考えてしまいそうになります。パウロの立場に立てばバルナバは身内に甘い人、バルナバの立場に立てばパウロは自分の失敗を棚に上げて他人には厳しい身勝手な人というように考えてしまうのです。そのどちらの解釈も絶対化はできません。

いずれにしても傍から見れば悲しい出来事のように思われたこの別行動でしたが、結果は決して悪いものではありませんでした。一つではなくて二つの伝道部隊が出発することになったからです。そしてコロサイの信徒への手紙4:10などが伝えるところによれば、マルコは後にパウロに認められる働きをしていた可能性があるのです。パウロとバルナバの衝突が、マルコに反省と自覚を促す結果となったのかもしれません。これ以後、バルナバについては記されることはありませんが、バルナバが完全に神さまから離れていったと記されることもありません。衝突や対立というものは、全てが悪いわけではないのです。むしろ神さまに仕えることを真剣に追求する過程で生じた衝突から生まれる恵みもあるのではないでしょうか。

私たちはルターの宗教改革以来のプロテスタントの伝統に立ち、改革長老教会として歩んでいます。当時の教会の腐敗に対し、馴れ合って追従するばかりでは何も生まれなかったのです。プロテスタントが声を上げたことにより、ローマ・カトリック教会内にも改革の機運が生まれました。そのような中で生まれたイエズス会の活動によって、日本にも福音が伝えられることになりました。今も様々な教派が世界には存在しており、共感できる部分もあればそうではない部分もあります。しかし共に主にあって一つとされ、それぞれの場で用いられていると考えれば、違いがあっても互いを尊重できると思うのです。

 駿府教会は昨日2025年4月26日で、教会独立100周年を迎えました。1925年4月26日に「静岡日本基督教会」として教会建設した日をもって、一個教会としての公の歩みが始まったのです。これは決して他の教派や教会を否定することではなく、この静岡の地にあって、駿府教会を通して働かれる神さまの固有の歩みを感謝して覚えるものです。教会でもそうなのですから、個人ではなおさらです。私たちは神さまから与えられたそれぞれの馳せ場にあって、イエスさまに従って、共に人生を駆け抜けるのです。

中村恵太